千日回峰行

先日 たまりすぎたテレビの録画番組を見ていたら
比叡山の千日回峰行という過酷な修行を行なっている
お坊さんの話が耳に残りました。

千日回峰行とは通算1000日の修行を7年かけて行なうもので
比叡山山中を1日30キロ廻って礼拝を行なうそうです

そのお坊さんの話では礼拝で廻る道順は同じですが
最初の頃は周りが見ずにいたが 同じ事を繰り返すうちに
だんだんと見えてくるようになり
そして 同じ道ではあるけれども 時には苦しく
時には気持ちよく廻れるそうです

お坊さんは 
この難行、苦行の中から何かを悟っていくのでしょうが
私にはそんなことは到底まね出来ません
でも日常の生活の中でも
初めての作業は周りが見えずバタバタしがちですが慣れてくるに従い
周りの状況にまで気が付くようになることや
同じ作業でも 時には全くうまくいかず落ち込む時もあれば
何でこんなにスムーズに進むのと自分でも驚く時もある

なんか 修行と日常生活という心構えや意気込みは
違えども 起こる現象や 感情には 共通する点も
多いなと感じました

そんな中 ふと思い出したのが
全然別のところで聞いたお坊さんお話で
お坊さんはお寺の中の生活(修行)から何かを悟っていくけれど
一般の方たちも 日常に繰り返されている生活の中から
気付くことはいくらでも出来ますよという内容でした

千日回峰行でなないけれども
日常生活においても 何か目的や 意識するものを持って 
今あることをしっかりとこなしていけば 
何かを気付くことが出来るのかもしれないと感じました

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